癖になる味。

えぐいけど、また食べたくなるインドカレー
毎日会うのはうっとうしいが、たまに会いたい濃めの人。
強烈なものは、善し悪しに関わらず人を引き付ける。


2005年4月に『ウォッチ!』に取って代わり、みのもんたの『アサズバッ!』が始まった。
サワヤカ系大学サークル的なウォッチ愛好者だった私は、初めて黒光りするもんたみのが大げさに立ち回り、事件に関して私見にまみれた説教話をまくしたてる姿を見た時、『うぇっ』と悪寒を感じたのを忘れることができない。
…濃い過ぎです、みのさん。


それから約1年。今じゃアサズバッ!愛好者。
夕方に飛ばされたラサール石井にしばらく同情していた自分が懐かしい。
それまではウォッチ!/ズームイン/目覚ましテレビを時間テーマごとにぐるぐる見てたのだが(『今日のワンコ』等は時間の無駄なので見ないのだが、『ワンコで癒されたい日本人が大勢いるんだな』と日本の病み加減を再認識する)、今じゃアサズバッ!一本。
たまにしんぼーさんの『新聞斜め読み』を拝見する程度。考えてみれば、しんぼーさんにも長い間なじめなかったが、今ではお気に入りの一人である。


全く持って別テイストな二人だが、共通するのは『私と全く考えがあわない』点である。
しんぼーさんは『こんなことに注目するのか』といったどちらかといえば目から鱗発言が多くためになるので気になるのだが、もんたみのに関してはあまりに私見ドロドロ発言(ライブドア事件ホリエモンに対する小学生的いじめ逮捕報道には人間を見た気がした)で『おいおいそれは違うんじゃねーの?!』と反論を考えさせる点に魅力があるんじゃないかと思う。


これまたアサズバッ!のうまいところはもんたみの以外は穏やかな良心的なコメンテーターを揃えているところだ。私見ドロドロ発言に穏やかに返答。
その返答をみのもんたがバッサリ切り捨てることも多々あるが、それもまた『コメンテーターの心中はいかに?!』とコメンテーターの心情を想像するのもまた一興。
時にはもんた発言にペースを乱され、いつもなら言わない一言を言ってしまうコメンテーター、そしてその一言にニタリと笑うみのもんた
もぅ朝からドロドロです。でも見ちゃう。


…とここまで書いておいていうのもなんだが、sinosuke的アサズバ!の見方を書きたかったのではない。
ふと今朝見ていて、『人って時間が経てば慣れるもんだな』としみじみ感じた。


人間てものは身勝手なもんで、色んなものに慣れる。
どうでもいいことも、大切なことも。


大切なことを『慣れ』によって見失わないようにしようと改めて思った。